キリノート

get the best of both worlds

ガザ地区が名古屋市とほぼ同じ面積と人口だと想像してみると

マストドンのタイムラインで見かけて気になった『ガザに地下鉄が走る日』を読んでみました。これは面白いエッセイです。

岡さんが、島国の人間には決してわからないという、陸続きの大陸における国境線の感覚。「国境と国境のあいだには、場合によっては数キロ以上に及ぶ緩衝地帯が存在する」(p.14)こと、そしてそれを身をもって体験したという岡さんの昔話。国境という線があり、それを跨げばすぐ隣の国がある……かと思ってトルコの出国管理をでたら、深夜の、真っ暗闇の砂漠が広がる。どこにも隣国のシリアの入国管理所は見当たらない、どうすればいいの……という衝撃は、もしその場に置かれたらとてもリアルなものだと私にも感じられました。

このエッセイ集のタイトルになっている「ガザに地下鉄が走る日」は、もちろんガザに地下鉄が走る日など来ないのだが、それを前提にしたアート作品(まるでガザに地下鉄が開通したかのように地下鉄の路線図を作り、さらにその空想上の駅がある場所に「メトロ」の看板だけ設置して写真を撮っていったムハンマド・アブーサルによる作品)に由来している。

そこでふと思った。ガザには地下鉄を走らせる(妄想させる)ほどの広さがあるのか。

僕が調べたところ——というか、ChatGPTに「ガザ地区名古屋市で例えて」と無茶振りしてみると(正しい生成AIの使い方)——現在「屋根のない絶滅収容所」と呼ばれているイスラエルガザ地区(約365km2)は、概ね名古屋市(326km2)と同じ広さ。ガザ地区の人口は最大で220万人と推定され、名古屋市の人口220万人と並んでいる。このへん、間違ってたらご指摘いただければと思いますが。

なるほど、名古屋市ぐらいの面積の中に、人間が200万人閉じ込められている。そこにイスラエルから空爆がおこなわれている。地下に手掘りのトンネルが張り巡らされている。それぐらいの規模感で想像すると、連日の報道で、ガザ地区内で避難勧告が出るであるとか、北部から南部へ人が移動しているだとか、そういった動きが生々しく想像できるような気がする。それぐらいの広い面積と人口がガザ地区には閉じ込められているのである。

無知を晒すようで恥ずかしいですが、ガザ地区は「地区」という言葉が持っているニュアンスに引きずられて、もっとすごく小さくて狭いエリアを想像していました。そんなことないですか?

日本のニュース報道は見ていないのでわからないのですが、ガザ地区側がテロリストという見立ては、岡さんが『ガザに地下鉄が走る日』でも書いているように、ちょっと違うんだろうなと思います。もっと歴史のコンテクストで見ないといけないなと。